
山﨑賢人さん主演の2028年大河ドラマ「ジョン万」 が発表されたことでも話題となっているジョン万次郎。
名前は聞いたことがあるけれど、なにをした人かわからなかったり、うろ覚えというかたも多いのではないのでしょうか。
ここでは「ジョン万次郎は何した人?」という疑問について、わかりやすく解説します。
ジョン万次郎(中浜万次郎)は、江戸時代にアメリカへ渡り、日本と海外の架け橋となった人物です。
日本がまだ外国との交流をほとんど行っていなかった時代に、海外の文化や知識を学び、日本に伝えました。
実はジョン万次郎は初めからアメリカへ学びに行こうとしたわけではありません。
大きなトラブルに遭ったことをきっかけにアメリカで学び、日本とアメリカの架け橋となるのです。

ペリー来航や、日本の開国とも同時代に活躍しています!
ジョン万次郎は何をした人?その主な功績について簡単に解説
ジョン万次郎の主な功績は次の3つです。
① 日本人として早い時期にアメリカへ渡った
14歳のときに漁に出て遭難し、アメリカの捕鯨船に助けられました。そのままアメリカへ渡り、現地で学校教育を受けました。
② 西洋の知識を日本へ伝えた
航海術・英語・数学など、当時の日本では珍しい西洋の知識を学び、日本に帰国後に伝えました。
③ 日米交流のきっかけを作った
日本が開国する直前の時代に、アメリカ事情を知る人物として幕府に重用されました。通訳や海外情報の提供などで、日米関係の発展に貢献しました。



遭難がきっかけなんですね!
ジョン万次郎の人生についての簡単な年表
以下にジョン万次郎の人生について簡単な年表でまとめます!
1827年
現在の高知県で生まれる
1841年(14歳)
漁に出て遭難 → 無人島へ漂着
1841年
アメリカの捕鯨船に救助される(米国本土上陸は1843年)
その後
アメリカへ渡り学校で勉強
1851年頃
日本へ帰国
帰国後
幕府の通訳・教育者として活躍
1898年
永眠
ジョン万次郎のはっきりとした死因は詳しく記録されていません。
ですが当時の年齢から考えると老衰や病気による自然死と考えられています。
幕末の冒険的な人生とは対照的に、晩年は教育などに関わり比較的落ち着いた生活を送っていたと言われます。
ペリー来航、開国との時系列
ジョン万次郎はペリー来航、日本の開国ともとても近い時期に活躍した人物です。
そのあたりの年表をまとめると以下になります。
1841年 ジョン万次郎がアメリカの捕鯨船に救助される(米国本土上陸は1843年)
1851年 ジョン万次郎が帰国
1853年 ペリー来航
1854年 日本が開国
1860年 遣米使節
江戸幕府がアメリカへ公式使節団を派遣。
このときジョン万次郎も通訳として関わりました。



あの時代に活躍した人なんですね!
アメリカでの10年間について
救助された万次郎は、船長の計らいでアメリカ本土へ渡りました。最初はマサチューセッツ州フェアヘイブンで暮らし、学校に通い英語、数学、航海術を学びました。当時の日本は鎖国中で、外国渡航は厳禁でしたが、万次郎は自由なアメリカ社会に衝撃を受けました。奴隷制度の残る一方で、民主主義や科学技術の進歩を目の当たりにし、日本への想いを強くしました。
さらに、カリフォルニアのゴールドラッシュ(1848年)に参加。日本人初の金鉱夫として成功を収め、船長に恩返しとして財産を分け与えました。また、捕鯨業や貿易にも携わり、航海術をマスター。ホノルルを経由して地球を一周する経験も積みました。この10年間で得た知識は、後の日本近代化に直結するものでした。1851年、琉球(沖縄)経由で日本へ帰国を試みましたが、鎖国政策で厳しい尋問を受けました。
アメリカ生活は、万次郎に「実学」の重要性を教えてくれました。彼はアメリカの教科書を暗記し、帰国後にそれを基に翻訳書を執筆。こうした経験が、幕末の志士たちに「開国」のビジョンを与えました。
逸話と人間性
万次郎には面白い逸話も多いです。無人島で「未来の夢」を語り仲間を励ました話や、アメリカで寿司を紹介したという伝説。帰国時に持ち込んだ地球儀や望遠鏡は、藩士を驚かせました。また、咸臨丸で福沢諭吉に航海術を教えた逸話は有名です。
人間的には、貧困から這い上がり、恩義を忘れず。船長に金鉱の金を返す姿は、誠実さを示します。晩年は東京で静かに暮らし、門下生を育てました。彼の言葉「海は広いなあ、やってみんのか?」は、挑戦の精神を表します。
日本史的に重要な理由
ジョン万次郎が特に重要視される理由は、
「日本が開国する前に西洋社会を実際に体験した数少ない日本人」だったからです。
その経験をもとに、
- アメリカの文化
- 海外の技術
- 航海術
- 英語
などを日本に紹介しました。
当時の日本では、海外へ渡ること自体が珍しく、アメリカの学校で学んだ知識も貴重なものでした。
そのため万次郎の体験で得たものはとても貴重な情報でした。
また関連としてジョン万次郎の子孫のその後の活動についても以下の記事にありますので是非読んでみてください。

